私たちは、人生の前半で結構多くの人が真面目に生きてきたと思います。

私もそうです。

なぜ、真面目に生きようとしてきたのか?

これには2つ理由があります。

1つは、人間としてのルール、マナー、礼儀を知らないと生活できないから。

集合意識からくるものとも言えます。

社会のルールを知るために、正しさをいつも意識せざるを得なかった。

あなたも、あなたの両親も、そのずっと前の代からも。

真面目さ=正しさだったりもしますね。

こんな風に、あなたの心の外の世界は、社会でも、あるいは家庭でも(ここはケースバイケース)、真面目という正しさを押し付けられる仕組みが出来上がっていたわけです。

2つ目は、思いこみ。

心理学ではビリーフと言います。

例えば、

ちゃんとしないといけない
いい子でないといけない
嫌われてはいけない

多くの人が幼少期の家庭環境で、年上の人の振る舞い、言動を見て無意識に思い込んだマイルール。

それは、生きるために学んだ知恵だった。

この2つの理由から、

私たちは、真面目に生きようとしてきたと言えます。

さて、

この根っこにあるものはなんだと思いますか?

生活できない、、
せざるを得ない、、
〜しないといけない、、

なんだかすごく焦りや緊張感を感じませんか?

適応しようと必死な感じ。

その根っこにあるものは、

恐怖です。

真面目の根っこには、恐れの感情が沢山あるわけですね。

恐れがあるから、

外の世界に適応しようと、必死に合わせてきたと言えます。

ある意味、従順に、当たり前のように。

これを続けていくことで起きる最大の問題があります。

それは、

本来の自分からどんどん離れていってしまうこと。

真面目がダメだといっているわけではないんです。

過剰ですよってことです。

現に、今までの社会は、真面目に生きれば、真面目な自分に自尊心を感じられてそこに意欲も湧いてきた社会構造だったから。

私も、真面目だったからこそ得られた成功体験も多々あります。

でも、その一方で、

苦しい自分もいた。

結局、真面目をやればやるほど、どんどん本当の自分から離れていき、

45歳を迎える頃、

限界に達しました。

キリがない、、

そんなことを考えることが増えたんです。

あなたも、過去の私のように、ネガティブな気持ちを感じているとしたら、

そのネガティブこそ、出口へのサインです。

真面目に入り込みすぎて苦しくなっている自分。

真面目が苦しいとしたら、真面目の反対ってなんでしょうね?

不真面目?適当?

違います。

”自由”です。

偽物の、合わせてきた自分からの自由。

自分の素直さを取り戻すという自由。

力が抜けて、軽く、明るく、楽しくなる自由。

それは、良かれと思って自分で自分を躾けて、裁いて、縛ってきた、

そういう「真面目な私」というアイデンティティーからの解放です。

これまで、真面目を頑張ってきた自分に感謝して、

手放して、心に素直に生きる。

まずは、そう決めるといいですね。

安心していいです。

怖いことは起こりません。

本来の自然体な自分から離れている方が、ズレている方が、よっぽど怖いです。

ズレたまま進み続けることはできないのも、真理です。

大丈夫。

私たちは、もう自分を守らなくてもいい時代を生きています。

大丈夫。

あなたへ、
私へ、
この宇宙へ、今日もありがとう。